思い出補正で人はものを買うのか?
食べ物の写真はつい惹かれてしまうものがありますね。
食にこだわりが強いわけでも何でもないんですけども。
コッペパンのイメージは、給食に出てくるまずいパン、
というのが真っ先に思い浮かぶのではないか。
給食に関しては実は地域で結構当たり外れがあるらしいが
幸いにも私の地元の給食はほとんどまずいと思ったことがない。
しかしそれでもコッペパンや食パンに関しては、
ご飯と一緒で「おかずありきで食べる、おいしくもなんともないもの」
であり、加えてパンの日でも「おひたし」のような
パンに微塵も合わないものが平気で出されていたため、
パンは単体で味わわざるを得なかったのもその不味さを際立たせていたように思う。
さて、こんなコッペパンに代表される「まずい郷愁食べ物」、
果たしてリバイバルさせるだけの価値があるのだろうか。
ローカロリーであったり、健康的であったりと
何らかの機能性が高いのであればまずくても
リバイバルさせるだけの価値があるのだろうが、
パンで何かを挟む美味い食べ物がほかにいくらでもある中、
単なる郷愁対象物というだけで食べたいとは思わないのではないか。
地元に根付いていたブームの火付け役の「福田パン」のようなところならともかく、
新たにブームにのって始めても、単なる一過性のもので
終わるような気がしてならないのである。